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矢祭園芸の歴史
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矢祭園芸を始める前、社長金澤美浩は地元の農業高校を卒業後、同じ福島県内のシクラメン生産者の下で研修をしました。その後の昭和49年に現在の場所で鉢花の生産をはじめました。
当初鉢花生産の為の投資が大変でした。その上、種や苗を購入しても技術が未熟であったため思ったように生産ができませんでした。
(2)
生産をはじめた頃は花色の良いものや、質が良い種子は非常に高価だったために当時は、なかなか買うことができませんでした。 そこで売れ残ってしまった商品を使って本を頼りに見よう見まねで交配をし、種を採りはじめました。当時の通説では自家採取の種はメーカーの種より劣ると言われました。しかし、実際にやってみると非常に良い花ができ、失敗続きだった生産にも自信がつき、いろいろな品種の交配を手がけ始めました。
これが矢祭園芸の育種の始まりにもなりました。
(3)
昭和60年ごろには、さまざまな場所に花が植えられるようになり、将来の需要が期待されるようになって来ました。その需要の高まりからか、各花市場においても集荷体制が徐々に整備されてきました。
それに伴い、一ヶ所で集荷できる花産地は有利に市場に商品を流通させることができる環境になってきました。そこで、矢祭園芸は、昭和63年に農作物の自由化で不安定な状況にあった矢祭町近辺の同年代の専業農家と矢祭鉢物研究会を立ち上げました。
現在の鉢物研究会のメンバーと社長。みなさんすてきな笑顔です
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矢祭園芸からは今まで※※※名の研修生が巣立っていきました。次世代を担う若者の教育へも矢祭園芸は力を入れています。矢祭園芸での厳しい研修を修了した研修生は矢祭園芸が定期的に技術の向上を目的とした『KANAZAWA塾』をつくり研修では見えなかった実務生産の勉強会を開いています。
(5)
平成9年から現在にかけて、シクラメン、ダイアンサス、シュウメイギク、プリムラなどなどの多くの商品の育種、生産、販売に努めています。 また、現在の矢祭園芸は積極的に市場外での企画の方にも取り組んでいます。自社育種、自社生産、自社企画販売のトータルにプロデュースできる会社になりつつあります。