今の音楽著作権についての問題
引用以下から
ITメディアニュース
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0802/26/news029.html
「初音ミク曲がJASRAC管理楽曲になっている」――そんな小さな発見が昨年末、ネット上で大騒動を引き起こした。みんなで盛り上げてきたミク曲が、みんなのものじゃなくなる。ファンたちは焦った。
JASRAC(日本音楽著作権協会)に楽曲を信託すれば、使用料を支払って許諾を受けない限り、2次利用ができなくなる。ネット上で自由に利用しあうことで盛り上がったミク曲の創作のサイクルが、その時点で止まる。
ただ「ニコニコ動画」上で行われているような、無報酬で“勝手に”利用され続けるという形だと、作家が不満を覚えたり傷つくこともある。自分の曲がいつどこで改変されるか分からず、100万回再生されても1円も入らない状態は、健全といえるだろうか。
誰もが創り、誰もが発表できるCGMの時代に、作り手も受け手も幸せになれる仕組みはないか。「初音ミクが実験の場として役立つなら、喜んで提供したい」――ミクを開発したクリプトン・フューチャー・メディア(札幌市)の伊藤博之社長は言う。
JASRACモデルの限界
JASRAC信託が判明すると、「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」には中傷コメントが押し寄せた 初音ミク楽曲のJASRAC信託をめぐる騒動で伊藤社長は「弊社自身がJASRAC登録することはありえません」とブログで明言した。
JASRACや、JASRACと契約した音楽出版社を否定するわけではない。信託すれば楽曲の管理や使用料の徴収が効率化するし、作者にも印税が入るなど、メリットも少なくない。
だがJASRACに信託すると、2次利用の連鎖が生み出した創作のサイクルが止まる。信託楽曲になった「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」は、カラオケや着うたになった代わりに、ミク楽曲配信ブログパーツ「ふるみっくプレーヤー」から消え、ミク曲のまとめサイトから歌詞や動画が消えた。
ニコニコ動画のみくみく映像には、JASRAC信託が判明するや否や批判のコメントが殺到。作詞作曲したika_moさんは「もうけ主義」と批判を浴び、ブログを閉じた。
JASRACはありがとうを届けない
「JASRACはありがとうを届けない」――伊藤社長は言う。JASRACを含む音楽著作権の仕組みは、対価を稼ぐためのプロ作品が前提で、ユーザーがアーティストに届けられるのはお金だけ。支払った著作権料は、JASRAC、音楽出版社、事務所とたくさんの“中間搾取”を経てやっとアーティストに渡る。
JASRAC信託時に必要な「公表実績」 この複雑な音楽著作権ビジネスの仕組みは、マス向けCD販売を前提にした楽曲には、必要だったかもしれない。しかし1人でPC 1台で作った曲――バーチャルインストゥルメントで作曲し、「初音ミク」で歌い、ネットのファンたちが自発的にプロモーションした個人製作の楽曲をここに載せようとすると、矛盾が吹き上がる。
「JASRACは『音楽を作ることができる人は、特別な才能を持ったごく少数』という前提に立っている」と伊藤社長は話す。実際、JASRACに信託するには「直近1年以内に定員500人以上のコンサートで使われている」「大手メーカーが作った全国販売のCDで使われている」などといった公表実績の基準を満たす必要がある。「“超特定少数”対“多”の関係でやってきた形態で、“多”対“多”――全員が作り、全員が評価するという今の仕組みに合っていない」
この矛盾の背景に、CGM(Consumer Generated Media)時代の到来という大きな変化があると伊藤社長はみている。「著作権の仕組みは、CGMを前提にしていない。急にそういうのが来たからみんな、泡を食ってる」
自給自足の時代に、戻っている
「人間の進化の頂点に、CGMがあるような気がしている」――伊藤社長は進化の歴史にCGMを位置づける。
古代、人間は自給自足だった。自分と家族が食べるものを採集・狩猟し、自分に必要な服を作り、家を造り、土器を焼く。何でも「Consumer」(消費者)が「Generate」(作る)っていた。「人はもともと、CGM――Mではないが、CG○という存在だった。『CGごはん』とか『CG服』とか」
伊藤社長 「でもある時『分業をしたほうがお得じゃん』と気付いた。体が強ければ山に入って獲物を捕ってきた方がいいし、手先が器用なら土器を焼いた方がいいものを作れる」
得意なものを作り、不得意なものは物々交換で手に入れる。交換効率を高めるために、貨幣と市場が登場し、連絡や交換のコストを下げるために人が集まって住む街が生まれ、労働集約的な産業が発展し、中央集権が進む。
電気や電話が発明され、通信・放送が登場。放送で収益を上げる広告モデルと、コンテンツの再利用で利益の確保するメディアとコンテンツ産業が生まれる。これを維持・発展させるために、著作権が強化されていく。
こうして発達してきた中央集権的・クライアント−サーバ的な社会が、CGMの登場で「ぽきっと折れ曲がろうとしている」という。
特定少数が独占していた放送モデルが崩壊し、個人もメディアとして情報発信できるようになる。ブロードバンドとWiMAX、携帯電話インフラの整備でコミュニケーションコストがゼロに近づき、1カ所に固まって住む必要が薄れる。「街に帰属する、会社に所属することの価値がなくなってくる」
JASRACをはじめとした旧来のモデルは、権利を握りしめた“特別な人”が、少数のコンテンツを全国に届け、対価をお金で回収するという中央集権型。だがミク楽曲のようなCGMは、ばらばらに住む個人がお金もうけを離れた立場で作り、個人に届けるPeer To Peer(P2P)型。JASRACモデルが通用しないのは必然だ。
「個性が発揮できない社会は、時代にそぐわなくなる可能性がある。北海道の会社だからなおさら感じるのかもしれないが」――P2P時代のコンテンツ流通はどうあるべきか。伊藤社長は「ピアプロ」という“実験”を始めた
個人がつながり、ありがとうを届ける
「ピアプロ」は、「Peer Production」の略。2次利用可能な楽曲やイラストの投稿サイトだ。個人の「見たい」「見てほしい」、「聞きたい」「聞いてほしい」、「認めたい」「認められたい」という願望をつなぎ、コミュニケーションをかきたてて創作意欲を刺激し、新しい創作が次々に生まれる場を目指した。
「ピアプロ」のキャッチコピーは「聞いて! 見て! 使って! 認めて! を実現するCGMエンジン」だ 「氏名表示が必要か」「改変OKか」という最低限の著作人格権だけを指定し、2次利用(コピー)OKを前提に作品を投稿。誰かが2次利用すればコメント欄に「ありがとう」が届く。誰かに見てもらえること、使ってもらえること、「ありがとう」がもらえること――「評価されたい」という一心で作り続けるアマチュア作家にとって、何よりの報酬になる。
評価をお金に代えて届けられる仕組みも検討していきたいという。具体的な実装は未定だが、お気に入りの作家に直接“寄付”できるような機能があれば、創作資金も援助できる。事務所も音楽出版社もJASRACも挟まらないから“中間搾取”も起きない。
この仕組みがうまく回るとどうなるか。見知らぬアマチュア作家同士がコラボレーションし、新しい創作を生む。認め、認められることで創作意欲が増し、コンテンツが豊かになる。「経済と同じように“評価”の流通する量が増えることで、経済発展ならぬ“クリエイティブ発展”が起こると思う」
2次創作を最大限解禁している初音ミクは、オープンソースソフト(OSS)のようなイメージだ。ミクの創作を通じて自律的につながったクリエイターが、2次利用可能な形のコンテンツを生み出し続け、それが新たな創作の起点になる。初音ミクというコンテンツの「共有財」が、ソフト業界のOSSのように、コンテンツ業界の可能性も広げていくことも願っている。
音楽検索という未決の課題
10万以上の効果音を検索・試聴・購入できる「ソニックワイヤ」には、表記の揺らぎに対応した独自の検索技術を導入。例えば「パソコン」「PC」で検索しても同じ結果が出る 音楽の「認めたい」「認められたい」をつなぐのに、必須の技術が検索だ。無数の音楽から今、欲しいものを探すにはどうすればいいか。自社で独自の音楽検索エンジンを開発してきた同社でも、検索技術の決定打がまだ見えないという。
「音を検索する方法は、ここ10年ぐらい悩み続けている。音楽は主観で好き嫌い・印象が変わり、同じ人なのに時期をずらすと同じ音楽を聴いた印象も変わる」
「音楽は、検索というよりも発見という感じがしっくりくるかもしれない。ユーザーが自発的に探したくなるようなアミューズメント性に富んだ発見の仕組みが面白いのかなと。セマンティックWebがヒントになるような気がしている」
“収益”ではなく“収穫”を
ピアプロからの収入は、現在のところゼロ。「ユーザーさんはもうけている場に貢献しようと思わないだろうから」と、同社の持ち出しで運営を続ける。
ピアプロではテレビ番組などとの共同企画も実施している 当面は無償で運営するが、維持が難しくなったとき、何らかの収益化は必要になる。「収益モデルというよりも収穫モデル」――ユーザーが望む仕組みを維持し、創作を発展させることで、豊かに実った創作の“収穫“をみんなで分け合えればいいと考えている。
例えば、クリエイターの協力を得て、質の高い作品を商品化したり、外部企業と連携したキャラクタービジネスに参加してもらったり。「当社と相手の会社だけのメリットだと面白くないから」
ただ難しいのは、全ユーザーのコンセンサスを得た上でビジネスにできるかどうか。創作物を商品化すると「ユーザーが盛り上げてきた物でもうける気か」と快く思わない人が必ず出てくる。「みくみく」作者が「もうけに走った」と批判されてしまったように。
「マネタイズしようとすると起きるあつれきは、CGMを阻害する要因だろう。チューニングには気を遣う」
Googleモデルの違和感
YouTubeには、大手メディア企業などがスポンサーする「公式チャンネル」が多数あるが…… 不特定多数による“P2P創作”が盛り上がる中で、コストをかけたプロよるクライアント−サーバ型音楽ビジネスが崩れ始めている。楽曲ファイルが携帯サイトの掲示板で広がり、YouTubeやニコニコ動画に商用動画が無断で掲載される。誰もがコピーし、誰もがカジュアルに発信できる時代に、「複製権」を固めて守り、コピーから対価を得るという従来型のビジネスが、立ちゆかなくなってきた。
無断コピーが避けられないのならいっそのこと、コンテンツは無料でばらまき、広告から収益を得ればいいのではないか。GoolgeやYouTubeが提案するビジネスモデルは、コンテンツのオープン化を求めるが、伊藤社長はこの風潮に違和感を覚えている
「『Googleはすばらしい』という本が売れ、『何でもオープンにしようよ』という人たちが現れている。オープン化には賛成するが、『コンテンツはタダ』という発想に、作る側として違和感を感じざるを得ない」
同社が専門にしてきた音楽や、取り引きのある映像分野。質の高いものを作ろうとすると、数千万円単位のコストがかかる。無料でばらまいて広告で回収というモデルでは「費用対効果が合わない」(伊藤社長)。
ニコニコ動画は、動画に関連する商品情報をユーザーが貼り付ける「ニコニコ市場」など独自の収益モデルを構築している 「『Googleから見えなければネットにないのと同じだから、みんな真っ裸になって全部見えるようにしてね、そうしたらGoogleが少しは分ける』という形は、音楽や映像産業に対するインパクトが感じられない。権利者を踏み台にした創作はできるだけ排除しなければ、健全な場は維持できなくなる」
動画サイトで大きくもうけることは難しいとも感じている。「PC事業で言う『スマイルカーブ』がネットの動画ビジネスにもあるのでは。もうかる川上と川下はAdobeとAmazon。YouTubeやニコニコ動画など投稿サイトは中間部分。インフラコストが大きすぎてなかなかもうからない」
確かに、ニワンゴ取締役の西村博之(ひろゆき)さんが話していた通り、動画サービスはコストが大きい。ドワンゴもニコニコ事業では赤字を出し続けており、プロの創作をまかなえるほどの収入を得るのは難しいかもしれない。
大作ゲームや映画、コストをかけた音楽作品など、多大な資金を必要とする作品は、既存の「権利を固めて守る」ビジネスモデルで残っていくと伊藤社長はみている。
ただDRM強化には開発コストがかかるし、コピーを監視するコストもぼう大。コピーフリー時代に対応した取り組みとして、DRMフリーのMP3を販売する例や、英国のバンドRadioheadが行った、買い手が自由に価格を付けられるMP3販売のように、ユーザーの“気持ち”に期待したビジネスなど、試行錯誤が始まっている。
「認められたい」をかなえるために
「認めたい」「認められたい」という気持ちをつなぐことで、人と音楽は幸せになれるのではないか。プロミュージシャンを目指して北海道から上京し、夢破れて戻ってきた友人たちへの想いと、プロの世界の“搾取構造”への違和感が、伊藤社長の考え方の原点だ。
「プロを目指して上京した人をたくさん見てきたが、やっとプロになっても激しい中間搾取があり、音楽で飯を食える人はごくわずか。30歳を過ぎて戻ってきても、人生で一番吸収率がいい期間を音楽に費やしてしまったため、大した仕事に就けない。音楽をやっている多くの人は、ワーキングプアかもしれない。趣味で音楽をやっている人たちの方がプロと比べてもはるかに楽しそうだし、生活もできている」
それでも若者がプロになりたがるのは「認められたいからではないか」と伊藤社長は言う。「その願望は、昔だとプロになるしか実現の方法がなかったかもしれない。でも、もっとカジュアルに『認められたい』の方法を提供できれば、人も音楽も幸せになるんじゃないか」
ITの進化がもたらしたCGMの発展で、プロにならなくても「世に出る」ことができるようになってきた。「食えないプロを目指して結果としてワーキングプアになるよりは、他に仕事をする片手間に、好きな作品を作る方が健全だと思ってる」
世の中のmissing pieceを埋めていきたい
今ある仕組みが時代に合っていないと気づいていても、ドラスティックに変えることは難しい。だが「今までよりももっといい仕組みを考えることはできる」と伊藤社長は言う。
「誰もが創作活動を通じて自己表現でき、正当に認められる世の中が理想と思う。そのためのサービス提供、製品開発を続けていきたい」
「メタクリエイター」を自認する同社。自ら「初音ミク」や「ピアプロ」といった商品・サービスを生み出す「クリエイター」でありながら、ほかのクリエイターの役に立つ「クリエイターのためのクリエイター」でありたいという。
同社のミッションは「世の中のmissing pieceを埋めていくこと」。初音ミクの思いがけないヒットで直面した、アマチュアの豊かな創作とそれを支える仕組みの不備。みんなの声に耳を傾けながら、未知の分野の足りないピースを、手探りで埋めていく。
初音ミクは「未来への羅針盤」だと伊藤社長は言う。ミクという羅針盤をたずさえ、ユーザーと一緒に、未来を切り開いていければいい。
航海はまだ、始まったばかりだ。
以上引用
よんでくれてありがとうございます。
今回のこのお話で、法整備がおくれていると思っていた種苗法が
完璧と思われていた著作権法の限界を知ることで、意外にも実は
これからは・・・なんて思ってしまいました。
音楽を『モノ』として捕らえず『生き物』として考えた場合、
遺伝子Aがあり、個人の才能という遺伝子Bとの交雑により、
遺伝子ABと言うものが生まれ、その音楽を聴いた遺伝子Cが
遺伝子AC、遺伝子BC、遺伝子ABCといったものを作り出す。
そのような有機的な遺伝子の連鎖により、クリエイティブさを
強調していくことと言うのは、あってよいことだと思います。
勿論始まりをリスペクトすることは大切です。
最終的にそれがパクリかどうかは全くもって聞く側の問題で
あって、2次遺伝資源的利用を認めているならば、著作権法を
適応外にすることが良いと考えます。
この記事は非常にこれからのパテントビジネスを考えさせられる記事で
現在の個人の台頭の世なのかにおいてどのようにその個人と協力して
行くかということが大切だと考えさせられます。
このブログのところにも『花屋さんと協力云々』と書いてありますが、
現在の花業界の硬直した流通の中で、いかに個人育種家の商品を
際立たせ、花屋のアレンジ技術を際立たせ、生産者の生産技術も
際立たせて行くような方向性で生産者、若しくは個人が考えて進んでいく
ことが現在低迷している中でもうまくやっていく方法なのではないか?
といつも考えています。
まあ
この辺はアレなんで
勝手な意見なので
流してくれ結構です。
ではでは